笑顔は万国共通。自然と笑みがこぼれる、そんな毎日を心がけて。
ミス・インターナショナル日本代表に選ばれ、国際親善を目的に世界中を駆け回った日々。道中を共にした、人生の師とも言うべき山野愛子氏からの教え、そして滞在先で出会った人々から学んだことは、いつまでも色褪せることなく胸に刻まれている。そしていま。それは、世代を超えて伝えていきたい大切な宝となっている。
常に笑顔でいること、その大切さを学んだ。
柔らかな物腰で、常に笑みを浮かべながら話す。その一つひとつの上品な仕草や包容力に満ちた雰囲気には、かつて、ミス・インターナショナル日本代表として身につけたすべてが、いまなお根底に流れているよう。
「ミスの日本代表を決定する前、ミスとしての心構えやマナーを学ぶんですね。そこには着付けや美容法などの講座が用意されていました。なかでも愛子先生(故山野愛子氏)の講座には深い感銘を受けたのを覚えています」。
当時、国際文化協会の副会長を務めていた山野氏との初めての出会い。この出会いをきっかけに公文さんはひとまわり大きく成長する。
美の競演としての側面が注目されがちなミス・インターナショナル・コンテストだが、コンテストの主旨は「国際親善」に置かれている。公文さんも日本代表に選ばれると、親善大使として忙しく世界を駆け回ることに。そして、訪問先のオーストラリアでは山野氏とともに1ヶ月半に渡って寝食を共にすることになった。
「親子ですか?とよく間違えられましたね。それほど愛子先生には良くしていただきました。美容法や着付けに至るまで、ミスとしての心得のすべてを教えていただき、それはとても貴重な体験でした」。
山野氏から学んだことのなか、公文さんの胸に特に深く刻まれているのが「笑顔でいることの大切さ」だと言う。オーストラリアではこんな出来事があった。現地では日舞や茶道を人前で披露することが多く、ある時、パーティの主催者から突然、江利チエミの曲で躍って欲しいと無理難題を突きつけられたのである。
「まだ私も若かったので、びっくりしたりすると『えっー』って顔をしてしまいますよね。でも愛子先生が耳元でおっしゃるんです。『そんな顔をしては駄目。観客のみなさんは日本語を理解しないけど、笑顔は万国共通よ』と。自分の踊りをみんなが楽しみにしている。そんななか、私の表情ひとつで場の空気が変わってしまう。先生のおっしゃる通りでした。以来、どのような状況でも、ラッキースマイルでいることが私のモットーになりました」。
日本人はつい、作り笑いや愛想笑い、照れ笑いなどをしてしまうものだが、公文さんが学んだのは真の笑顔の大切さだった。
「秘めたる物はすべて心にあると思うんです。笑顔の場合も同じ。だから、人と接する時は心と心のふれ合いをしなければいけないんですね。そうすれば自然に笑みがこぼれるもの。そんな笑顔は相手の心に響くものがあると思うんです」。
ミス・インターナショナル日本代表をきっかけに、人と出会い、そこで得たことの価値は計り知れない。
「ミスということで多くの経験と恵まれた環境を与えられます。毎日の暮らしの様々な場面でも、そういったことが当たり前だと思わず、感謝する気持ちは決して忘れないでいたい。感謝するということは、常に相手の立場で物事を考えることです。感謝してありがとうという気持ちになれば、そこでは笑顔も自然と出てくるもの。やはり、心から素直に笑える一日というのは、その人が一番幸せに過ごせるということでもありますからね」。
左/記念すべき第一回世界大会。1960年に米国ロングビーチで始まった。
右/1968年に日本で初めて開催された際には、当時の佐藤栄作首相を表敬訪問した。
[profile]
公文 裕子
第7代ミス・インターナショナル日本代表として、1967年、米国ロングビーチで開催されたミス・インターナショナル世界大会で日本人初のミス・フォトジェニックを受賞。オーストラリアのジョイモーランド・ビューティースクール、フランス・パリのランコム・ビューティースクールで総合美容を学んだ後に帰国。山野愛子氏に師事し、国内外で美容師として活躍する。現職は、山野美容芸術短期大学の客員教授を務めるほか、国際文化協会にてミス・インターナショナル日本代表への指導も行う。