ロシアの至宝・ファベルジェを語る – ゲザ・ハプスブルク大公
ゲザ・ハプスブルク大公が偶然に出合った宝飾品は、ロシア皇帝の寵愛を受け、歴史の一時代に輝きを放った「ファベルジェ」だった。
かつてヨーロッパ中の王室を席巻したメゾンの芸術品は、大公をその世界に引き込むに十分の美しさを誇っていたのである。歴史の因縁か神の導きか、ファベルジェ研究の大家となった大公が、伝説として語り継がれる今はなきロシアのメゾンの歴史を振り返る。
Imperial Pelican Easter Egg
1898年4月5日に3000ルーブルをかけてロシア皇帝ニコライ2世から母のマリア・フョードロブナに贈られたと考えられるイースターエッグ。1916 年までAnichkov 宮殿に所蔵された後、1917年に暫定政府によって保管のためにモスクワに移される。1930年にソビエト政府の命により売却され、1000 ルーブルでアーマンド・ハマー氏の手に渡る。1936年~1938年の間にリリアン・トーマズ・プラット氏の手に渡り、1947年、彼女が亡くなった際に、ヴァージニア美術館に寄贈され現在に至る。
帝国様式でエッグの本体に彫刻が施され、頂には白いエナメルによるペリカンが置かれる。エッグ本体のなかには8連のフレームが折り畳んで入り、それぞれのフレームには皇后が後援していた貴族の令嬢のための教育機関の絵が描かれている。
Signed Faberge, initials of workmaster
Michael Perchin, with dates 1797-1897, St. Petersburg assay mark before 1899, Height:4inches (13.3cm)
Virginia Museum of Fine Art, Richmond (Bequest of Lillian Thomas Pratt)
Made of red gold, diamonds, seed pearls, gray, pink and opalescent blue enamel, watercolor on ivory.
©2003 Virginia Museum of Fine Arts
Photo by Katherine Wetzel
ファベルジェとの出合い
ロシアから各国の王室へ贈り物としてのファベルジェ
パリのファッション界を動かすファベルジェのエナメル技工
ファベルジェ栄光と終焉
アレクサンドル3世の時代である1885年から1894年までの間に、皇帝から妻のマリア・フョードロブナへのプレゼントのために、ファベルジェは10個のイースターエッグの制作を手がけました。イースターエッグはキリスト復活のシンボルです。特に皇帝のためのインペリアル・イースターエッグは華麗さだけではなく、精巧な仕掛けが大きな特徴で、歴史上屈指の宝飾品と言われています。
アレクサンドル3世の死後、息子であるニコライ2世が彼の跡を継いでからも皇室家でのイースターエッグの伝統は継承されました。以降、ファベルジェは毎年2つのインペリアル・イースターエッグを皇室に献上しています。一つは母であるマリア・フョードロブナのため、もうひとつは自分の妻、アレクサンドラ・フョードロブナのため。このインペリアル・イースターエッグは年を重ねる毎に複雑で美しく、上品に、そしていっそう高価になっていきました。1900年に開催されたパリ万国博覧会ではロシア皇帝の依頼によりすべてのインペリアル・イースターエッグが展示されました。この出来事はファベルジェの評価を決定づけることになり、世界での大躍進のきっかけにもなりました。
1914年までにたくさんの作品が生み出されてきましたが、第一次世界大戦の開戦によって材料となる金や銀の入手が困難になります。例えば1916年のイースターエッグはスチールで作られています。銅や鉛でも作りはじめるようになり、工房の職人たちも戦争にかり出されることで、これ以上作品を作ることができなくなりました。大戦はファベルジェの栄光に暗い影となって忍び寄ることになるのです。
ロシア皇帝の失墜と運命をともにするファベルジェ
1917年の冬、ロシア皇帝はその権力を失い退位を迫られると、家族とともに投獄され、さらにウラル地方のエカテリンブルグへ移されます。サンクトペテルブルグでの10月革命で革命家のボリシェヴィキが勝利すると、皇帝と運命をともにするようにファベルジェはロシアにおけるすべての顧客を失うこととなりました。そして、カール・ファベルジェもまた、皇帝に近かったためにボリシェヴィキから身を隠すためにロシアから脱出せざるをえなくなります。フィンランド、ドイツ、スイスへと身分を隠しながら逃げ隠れ、1920年に亡くなった時には無一文だったといいます。
ロシア皇室とともに発展したからこそ、皇帝の失墜とともに終焉を迎えざるを得なかったファベルジェ。運命は激動の歴史の波に抗うことはできませんでしたが、その普遍的な美しさは伝説として現在にまで受け継がれています。
Imperial Peter the Great Easter Egg
1903年4月6日の復活祭で、ロシア皇帝ニコライ2世が妻のアレクサンドラ・フョードロブナに贈ったイースターエッグ。この贈り物のために同年4月26日に9760 ルーブルが支払われている。1916年9月までウィンター宮殿の皇后の書斎に保管されたのち、1917年に暫定政府によって保管のためにモスクワに移される。1933年にはソビエト政府の命によって4000 ルーブルで売却され、さらに1936 年にニューヨークのA La Vieille Russie のアレキサンダー・シャファー氏の手元に渡る。1942年~1944 年の間はヴァージニアのリリアン・トーマス・プラット氏によって1万6500 ドルで買われ、1947年、彼女が亡くなった際に、ヴァージニア美術館に寄贈され現在に至る。このインペリアル・イースターエッグはサンクトペテルブルグがロシア皇帝ピーター・ザ・グレイト(ピョートル大帝)によって創設されて200年経ったことを記念して作られたもので、大帝や彼の木造の兵舎、ニコラス2世と彼のウィンター宮殿のミニチュアがセットになっている。サプライズとしてエッグのなかには、1766年にキャサリン・ザ・グレイト皇后の命によってエティエンヌ・ファルコレットが建てた有名な像の可動式のミニチュアが収まっている。このミニチュアはイースターエッグの本体から機械装置によって持ち上がるような仕掛けがなされている。
Signed Faberge, initials of workmaster Michael Perchin, dated 1703 and 1903, St. Petersburg assay mark for 1899-1908
Height: 4 3/8 inches (11.1 cm) Virginia Museum of Fine Art, Richmond (Bequest of Lillian Thomas Pratt)
Made of three- and four-coloured gold, platinum, rose-cut diamonds, foiled rubies, translucent yellow, opaque white enamel, enamel, sapphire.
Watercolour miniatures by B. Byalz on ivory, rock crystal. Statue in bronze
©2003 Virginia Museum of Fine Arts
Photo by Katherine Wetzel
※1=ニューヨークの五番街、セントラルパークのほとりに佇むアンティーク宝石店「A La Vieille Russie」が扱うファベルジェによる作品。
ロシアの至宝は激動の時代を生き抜き、様々な所有者の手を経て、現在ニューヨークでその輝きを放っている。
A La Vieille Russie (※1の宝飾品について)
781 5th Avenue, New York NY
TEL 212-752-1727
http://www.alvr.com/