ある演奏会場
その日はチャイコスフキーの演奏会だった。1曲目はピアノ協奏曲、そして休憩を挟んでの2曲目は交響曲第6番、かの有名な交響曲〝悲愴.だ。
かなり著名な指揮者が登場するということで、この演奏会のチケットはずいぶん前から完売となっていたそうだ。僕は学生の頃、少しトランペットをやっていて、クラシックを聴くことは好きなのだが、熱狂的というほどでもない。年に数回コンサートに足を運ぶくらいだ。
今回は誘われたので、この日を迎えることとなった。
お誘いいただいたのは、音楽関係のライターとして数多くの雑誌やテレビに登場する20代後半の女性。大学生の頃までは自らもバイオリニストとして研鑽を積んでいたようだ。今ではこの分野の美人ライターとして名を馳せている。そんな彼女とは数ヶ月前、ある雑誌社が主催するパーティーで知り合った。
お互いに雑誌に連載を持つ者ということで編集者が紹介してくださった。そして意気投合した。彼女はとても闊達な女性だった。満面の笑顔で夏の砂浜を走っている姿が似合いそうだ。90年代のポカリスエットのCMに出てきそうな。
かつてあるピアニストと交際していた。そのピアニストはしっとりとした長髪の女性で、外出するのがあまり好きでない内気な女性だった。多少の偏見かもしれないが、楽器を極めようという思考の女性に、彼女のような爽快な女性は少ないと思っていた。そしてショートヘア。そんな意外性もあって、一気に惹かれた。「大企業が、このクラシックの世界の恒常的なスポンサーになりたくなるような文章を書いてください」彼女は単刀直入にそう言った。
最近、景気の悪化に伴い、大企業からの支援が少ないというのだ。
企業のイメージアップにつながるスポンサード
クラシック音楽の世界は、国や地方公共団体からの支援で成り立っている、といっても言いすぎではない。また、トヨタなど日本を代表する大手企業や公共性の高い企業は、スポンサーとしていくつかの楽団を支援し、さらには公演のスポンサーとして支えている。公演の収益だけでは維持できず、こうした支援で支えられているのだ。
しかし、公的な支援は、最近の削減策の中で減らされる傾向にあり、さらに大企業も支援金額は減る傾向にある。これは、企業業績の悪化ということだけが原因ではない。株主やマスコミの視線が厳しく、〝そんな文化・芸術にお金を使うくらいなら、株主に還元せよ.というのだ。こうした人々から見れば、こうしたスポンサードは〝道楽.に見えてしまうようだ。一方、非上場企業でオーナー企業であるサントリーなどは、文化芸術・スポーツ界のタニマチとして有名だ。
本来、大企業は道楽でなく、企業のイメージアップのためにこうした分野へのスポンサーを行うべきだと思っている。イメージアップだけでなく、新卒採用の活性化、また社員満足の向上など得られるものは多い。
しかし、こうしたスポンサーがどれくらい効果をもたらしたのかを明確な形(たとえば数字など)で表現するのは難しい。であるから、”道楽”のように見えてしまうのだろう。
ラストノート
交響曲第6番の第3楽章のラストは大きく盛り上がる。まるで、この曲のフィナーレのようだ。しかし、曲はここで終わらない。
その後、第4楽章が始まる。ラストは、多くの人が、”鳥肌が立つ感覚”を覚えると言う。荘厳な音を響かせるコントラバスの弦の震える音で終わる。その終わり方は、まるで人の人生のようだ。
演奏会が終わった。となりに座る彼女に声をかけた。「今日もいい演奏だったね」「ホント感動した」まだ感動が冷めていない様子だ。
「このあと、ホテルのBARで飲もうか。今夜はゆっくり話そう」そう誘った。
すると、爽やかなポカリスエットの笑顔で、「先生。そうやって多くの女性を誘っているんですよね」「そんなことないよ」「紹介してくださったあの編集者の女性が言ってた。すぐショートヘアの女性を誘うから注意してね。って」「先生。原稿の締め切り守ってくださいね」そう言って、彼女はタクシーに乗り込んだ。
あの女性編集者の顔が浮かんだ。