あれから3年―
コンラッド センテニアル シンガポール ホテル―
ここのレストランを予約したのは、彼女だった。
かつて交際していた彼女のFacebookにメッセージを送ったのは10日前。
「来週、講演をするためにシンガポールに行くんだけど、よかったら夕飯でもどう?」。彼女は、3年前に日本の航空会社を辞めてシンガポールへ渡り、知人の紹介を受けて日系企業のシンガポールブランチのトップの秘書として働いている。
早い結婚を望んだ彼女に、「今は仕事が落ち着かないから、もう少ししたら…」と僕は言った。20歳後半になった彼女は、フライトから帰って来たある時「会社を辞めることにしたわ。そしてシンガポールに行くの」と言った。こうして僕たちの5年間は終わった。
あれから3年。シンガポールには何度も来ている。今回も仕事をして講演をして、という通常業務なのだが、飛行機の中ではなかなか眠れなかった。
11時すぎに飛び立つ飛行機は、現地時間夕方17時ごろに着くので、飛行機の中で明日の講演資料をまとめることにした。
日本の(特に首都圏の)不動産上昇はこれから始まる
政権が変わり、株価の上昇が顕著な日本経済。不動産市況の展望も明るい。
在シンガポール企業やこれまでアジア投資の軸足をシンガポールに置いていた投資企業などは、日本経済の上昇基調が本物か、あるいはどれくらい続くのかを慎重に見定めている。そして本格的な日本への投資を復活させるべきかを検討している。
明日の講演には、日系企業とシンガポール企業、欧米系企業と各方面から参加予定だと聞いた。
講演のKEYメッセージは、「ポジティブに情報を集めて、決断は慎重に」と決めた。現在の日本の実態経済は、それほど大きく成長しているわけではないが、成長期待(回復期待)が大きく、それが株価などの指数の上昇傾向に影響している。
一方、不動産の景況はとてもよい。新築マンションは供給数も増え、契約率もよい。新築マンションの情報誌は広告出稿がとても多く、益々分厚くなっている。それ以上に活気があるのが、アパート・マンション投資の分野だ。新築賃貸アパートの建築面積は、しばらく低迷が続いていたが、ここへきて急上昇。前年対比で大きく増えている。ハウスメーカーは、この部門の急伸もあり、好業績の決算を予定している。この傾向はしばらく続くだろう。
今回の講演の最終提言を一言でまとめると、
「日本の(特に首都圏の)不動産上昇はこれから始まる」。そして「あと2年くらい続くから、投資するなら今かもしれない」という事にした。
講演前夜の夜
19時半の待ち合わせに、彼女は遅れずにやってきた。
3年ぶりに会う二人だが、お互いに「変わらないね」と言い、大きな声で笑った。彼女は人気の中華レストラン「GOLDEN PEONY」を予約していた。「さすがは大企業の秘書だね」と言うと、「ここのフカヒレ&カニみそスープは絶品なのよ。大先生に、明日の講演で頑張ってもらうために、おいしいものをご紹介しようと思って」と笑う。「ホント、いつも笑っているなぁ」と言うと、「それだけが取り柄なの。さあ行こうよ」と歩き出した。
夕食の後、彼女は僕の部屋に来ることになった。「ホテルのBARで飲もうか」と言うと、「ここに泊まっているんでしょ? ルームサービスでワインでも頼んでよ」と席を立ったのだ。
シンガポールに初めて来たのは6年前、彼女との旅行だった。夜だけオープンするナイトサファリがとても楽しくて、2日連続で行った。その時に泊まったのが、このコンラッドホテルだった。
彼女は浴室に置いてあるアヒルのフィギュアがとても気に入ったらしく、東京に戻ってからも浴槽に浮かべていた。
ワインを飲みながら、懐かしい思い出話に花が咲いた。3年間一度も会っていなかったことを忘れるような時間が流れていく。
「あの時に持って帰ったアヒル、今でも家にあるのよ。シャワールームに、ちょこんと座っているの」。僕はちょっと驚いて、「新しいものを持って帰れば?」とおどけた声で言った。
「いま、彼はいるの?」と聞いてみる。「その質問には答えられないな」と真顔で言い、3秒後には大きな声で笑い出した。この無邪気な笑顔は何物にも代えがたい。
「今日は、泊まっていく?」と大きな瞳を見ながら聞いてみた。
「もう少し、ワインを飲みながら考える……」
シンガポールの夜は長い。僕は立ち上がって、窓の外から見える夜景を眺めた。