鬼頭郁子が案内するベニス・シンプロン オリエント・エクスプレス
1883年に運行が始まり、数々の歴史の舞台となったオリエント急行。往時の姿をそのままに、欧州を駆け抜ける列車は、まさに誰もが憧れる存在です。
今回はフラワー&テーブルコーディネーターとしてご活躍する鬼頭郁子氏が豪華列車の旅へ誘います。
歴史や小説の舞台となった極上なる空間で過ごす列車の旅
最初に夢の豪華寝台車「ベニス・シンプロン・オリエント・エクスプレス」の歴史についてお話しします。その歴史は、ベルギーのジョルジュ・ナゲルマケールス氏が、アメリカのプルマン社の寝台車に感銘を受け、1872年にワゴン・リ社を設立したことに始まります。それまで、ヨーロッパの列車は国ごとに乗り換えていたため、乗り換えなしに長距離を走ることができ、さらに列車で食事もできる食堂専用車輌を持つ寝台車が誕生したのです。
1883年10月4日、パリ東駅からイスタンブールへ向けて初めて出発したオリエント急行は、目を見張るようなコンパートメントを持ち、その内装の優美さは、瞬く間に人々の憧れになりました。
1900年代、アジアや中東へ、旅行を楽しむ利用者で賑わった寝台車は、その後、飛行機の普及により衰退。ついには廃止となってしまいました。しかし、1982年、ベルモンド社の創業者、ジェームズ・シャーウッド氏が当時のままに見事に復活を果たします。以後、優雅に列車の旅を楽しむ人に愛され、今日に至っています。
バー・カーではピアノの生演奏が優雅な時間を演出する。
ディナーやランチをいただく食堂車輌。随所に歴史を感じ
る設えが施される。
今回のロンドン.ベニスのルートは1泊2日の行程です。まずはロンドン・ヴィクトリア駅の専用カウンターでチェックイン。年間を通じてイギリス国内を運行する食堂車輌のみの「ブリティッシュ・プルマン」でヴィクトリア駅を出発します。
食堂車輌でブランチをいただきフォークトンで下車。いったんバスに乗り換えて、フランスのカレー・ヴィルを経由してベルギーのブリュージュへと向かいます(※)。ここで、ワゴン・リの寝台車輌「ベニス・シンプロン・オリエント・エクスプレス」に乗り換えます。
出発してからは、フレンチディナーをいいただき、就寝するのは専用のコンパートメントです。目覚めると、朝焼けのアルプスの景色をのぞみながらの朝食。さらに、スイスを通過しイタリアに入ったあたりでランチ、その後はアフタヌーンティーと、美食と美しい車窓の景色を眺めながら、約30時間をかけてサンタルチア駅へ向かいます。
※ オリエント・エクスプレスは独自の路線を持たず、他の鉄道会社の線路・機関車を使用しているためルートが変更に。定期運行はフランスのカレー・ヴィルからパリを通過し、サンタルチア駅に向かう。
ロンドンのヴィクトリア駅からはしばし、ブリティッシュ・プルマン社の車輌が使用される。
ヴィクトリア駅にあるベニス・シンプロン・オリエント・エク
スプレス専用のカウンター。ここでのチェックインで旅が始まる。
鬼頭郁子が体験するベニスへの豪華列車の旅
乗車前にプラットフォームで車掌とともに
写真に収まる鬼頭郁子氏。
窓からの優しい光がランチのテーブルを
華やかに彩る。
車内の調達品はどれもが上品で優雅で。
ヴィクトリア駅でイギリス国内用の「ブリティッシュ・プルマン」に乗り込み、ギリシャの踊り子を描いた寄木細工の食堂車「アイビス」の整えられたテーブル席に座ると、大きく揺れて電車が走り始めました。
すぐにフルートグラスに桃のジュースとシャンパーニュが注がれ、ウェルカムのベリーニがサービスされます。日本でいただくベリーニとは違って、酸味がかなり強く驚いていると、「日本みたいに、トロッと甘い桃はヨーロッパにはないよ」と同行者から教えられ、これから始まる未知なる旅に期待が高まりました。
英国式のブランチが香り高い紅茶で締めくくられると、乗り換えのためいったん下車。いよいよ寝台車に乗り換えです。自分専用のコンパートメントは思ったより広く、テーブルにはシャンパーニュが置かれていました。
マホガニーの美しい扉で覆われた洗面所を開けると、充実したアメニティー。何よりも驚いたのが、列車内でありながら、洗面所にあるグラスもカラフェもすべて贅沢なガラスであること。それらが美しく固定して設置されていました。この美意識にたまらなく嬉しくなりました。
ロンドンの花屋さんで買ったバラとヒヤシンスを洗面所に入れ、ソファーベッドで一息。そして夢見心地な気分でディナーのためにお召し替え。最初にいただいた案内には、タキシードの紳士やドレスアップした淑女たちの写真とドレスコードが記載されていたのですが、半信半疑でバー・カーまで行ってみると、まさに写真通りの華やかに着飾ったヨーロッパの社交場でした。
アペリティフをいただき、ルネ・ラリックが手がけた「コート・ダジュール」という名の食堂車で極上ディナーを堪能しました。上質なクロスと磨かれたカトラリー。プレゼンテーションプレートにはラリックの絵柄がリンクされ、アールヌーボー調のディナー皿にも、安定感のあるフォルムのグラスにも、すべてVSOEのロゴが。その後、再びバー・カーで、ピアノの生演奏を聴きながら、遅くまでディジェフティフを楽しみました。
ぐっすり寝た翌朝は、昨晩とはまるで違ったスイスの景色が現れます。素早くベッドを整えてくれたスチュワードが、朝食をコンパートメントまで運んでくれました。そして、ランチまでの間はのんびり読書。長旅の間、好きな花の香りで過ごしたいと洗面所に持ち込んで自分で束ねたブーケが、いつの間にか、素敵なクリスタル花瓶に飾られてテーブルに置かれていました。
その後、ディナーとは違う食堂車輌の「エトワール・ドゥ・ノール」でランチ。至れり尽くせりのサービスを受け、絶景を眺めてのゆったりとした時間。見知らぬ乗客との軽い挨拶。ベルエポックの華やかな時代、鉄道で旅を楽しみ、人生を謳歌する上流階級の人々の気分を味わったような不思議な感覚。ヨーロッパを駆け抜けた豪華列車での一夜は、今でも夢を見ていたかのようでした。
車窓の外にはどこを走っていても絵画のように美しい光景が広がる。
素材の旨味を引きだした食事は列車の旅の楽しみの一つである。
キャビンに飾られた花は、ロンドンで花
を購入し、鬼頭氏自らがコーディネートしたもの。
終着駅のベニス、サンタルチア駅にて。
Photo by Hiro Matsui