女性も男性も、そして子供もみな民族衣装を着用し、そこには民族としての「心」が現れているという。
17世紀前半。チベットからの宗教的迫害から逃れたチベット仏教の一派、ドュク派の長であるシャブドゥン・ンガワン・ナムギュルが、ヒマラヤ山脈の南麓に逃れて信者らと共に暮らし始めた地がブータン王国の起源とされる。
20世紀に入り、チベットを中心とする俗に「ラマ教」と呼ばれるチベット仏教を汲む文化圏の諸民族は、政治や経済、文化面で大きな変貌を余儀なくされ、次々に政治的独立を失っていく。決定的だったのはチベットの最高指導者ダライ・ラマ14世がインドへ亡命するという事態だった。
こうしたなか、国家として独立を守り抜き、社会的・経済的にも外部からの圧力に屈することなく今日に至っている唯一の例外がブータン王国である。
時を経て2011年11月。インドと中国という大国に挟まれた小さな王国から第五代新国王ジグミ・ケサル・ナムギェル・ウォンチュックが、新婚旅行を兼ねて訪日された。その際、日本の子供たちへのメッセージが大きく報道された。「私たちの暮らすヒマラヤの国、ブータン王国には龍が棲んでいます。龍は私たちの心の中にいて『経験』を食べて大きく成長します。だから私たちは日々、強く成長するのです。自分の龍を鍛錬して、感情などをコントロールすることが大切です。心の中にいる一人ひとりの龍を大切に育てて欲しいと思います」。
龍の国から来た国王の言葉と真っすぐな眼差し。そして、凛とした佇まいの王妃の美しさは、我々日本人の心の奥深くに記憶されることとなった。
COMO Uma Paro 幻想的な霧に包まれるハイダウェイ
ブータンの伝統的な建物を模して建てられ、中庭では星空を眺めながら夕食を楽しむこともできる。
標高が高いので夏でも日が暮れると冷え込むが、暖炉や柔らかな照明が部屋を暖かく包み込んでくれる。
ブータン王国への旅路は、早朝のバンコク発ブータン航空で始まった。途中、インドのコルカタを経由するのには、政治や経済の面でインドとの繋がりの深さを垣間見ることとなった。湿地帯のコルカタを飛び立つと、一気に山を越え、雲海の先に7000m級の山々の頂が顔を覗かせる。その山肌を縫うように蛇行しながら、唯一の平地にある滑走路に飛行機は無事着陸した。
この国唯一の国際空港があるブータン王国の空の玄関口、パロという小さな町は標高2280m。地上最後の秘境を目指してやって来るほぼ全ての旅行者が最初に目にする「ブータン王国」がここパロの町となる。
滑走路が一本だけの小さく簡素な空港が、異邦人の未知なる土地への期待を増長させる。預け荷物を受け取り空港の到着出口に向かう。空港の外に専属のガイドが待っていてくれた。この国では、旅行者は事前に旅行会社を通じて宿泊ホテルを予約する。と同時に、滞在中の車とドライバー、それに専属ガイドを契約するシステムになっている。それは、原則として個人旅行は許さず、少人数のグループに限って「来賓」としてもてなすことを建前としているブータン王国の観光事業への考え方からきている。そのため、空港へ迎えに来るドライバーとガイドがホテルまでの送迎はもちろん、ラカン、ゾンと呼ばれるお寺や砦や町の観光をする時にもいつでも同行してくれる。
今夜の宿「コモ ウマ・パロ」は空港から10分ほどの松林に囲まれた丘の中腹にある。車窓からの光景はタイムスリップして日本の昔話に出てきてもおかしくない。村では男性は「ゴ」、女性は「キラ」と呼ばれる民族衣装を身に纏い、お寺や祠ではマニ・ラコルと呼ばれる、回すと功徳があるという教典が収められた筒を手で回しながらお経を唱え、熱心にそのまわりを歩く老人の姿などが見られる。全てが新鮮で、それでいてなぜだか懐かしい気がする。
ロンドンやバンコクに「メトロポリタン」などのスタイリッシュなデザインホテルを展開するコモ・ホテルズ・アンド・リゾーツが、バリ島のウブドゥに開いた「ウマ・ウブドゥ」に続いて展開したのがコモ ウマ・パロである。それはブータン王国の伝統的な建築とモダンな雰囲気を調和させ、周囲の環境に溶け込むように建てられている。
どこまでも続く谷を見下ろし、美しい田園風景を独り占めできる最高のロケーション。石造りの母屋にはレストランとバーがあり、ヘルシーなメニューに舌鼓を打つ。そして「コモ・シャンバラ・リトリート」のスパトリートメントでは、窓一面に広がる松林と谷を眺め森林浴気分を味いながら、熱した石を湯船に落とすホットストーン・フラワー・バスに浸かってトレッキングや旅で疲れた体を癒す。
スチームサウナやインドアプール、瞑想スペースやヨガスタジオがあり、心身ともに緊張をほぐし解放することができる。離れにはコテージタイプの部屋があり、より静かでプライベートな時間を約束してくれる。
食事の後、バーでお薦めのお酒を尋ねるとローカルのラムを使ったモヒートが今夜のシグネチャー・カクテルだと教えてくれた。ヒマラヤの麓でいただくモヒートは格別だ。パロは標高2000mを超えるので夜はかなり冷え込む。酔いをさまそうとテラスに出て夜空を見上げると、今まで見たこともない程に瞬く星空だった。
昼間は気付かなかった細やかな装飾の調度品やデザインが蝋燭や間接照明によって浮かび上がるように照らし出される。
澄んだ空気と木々に囲まれ、静かに暮らすように過ごしたい方には、離れのコテージは理想的な環境。
コモ・シャンバラ・リトリートによって究極の癒しを体感できる。薬草と彩り豊かな花を浮かべたブータンの伝統的なホットストーン・バスで森林浴気分を満喫する。
COMO Uma Paro
PO Box 222, Paro Bhutan Kingdom of Bhutan
res.uma.bhutan@comohotels.com
■ブータンツアーのお問い合わせは下記まで
株式会社エス・ティー・ワールド 渋谷駅前店ブータンデスク
TEL 03-6415-8618
shibuya@stworld.co.jp
COMO Uma Punakha ~原風景が広がる癒やしのリゾート~
清流と棚田に囲まれたパティオでゆったりと食事をする至福の時が、ウマ・プナカ
からの最高の贈り物だと気づかされる。
リゾートのスタッフはシャイで控えめだが、みんな温かなもてなしをしてくれる。
ゆったりとした部屋では、テラス越しに変わることなく流れる穏やかな川を望む。
国際空港があるパロから車で約4時間のドライブで辿り着く「コモ ウマ・プナカ」。1955 年にティンプーが「通年首都」になるまでプナカは「冬の首都」だった。プナカはティンプーに比べて標高が1000m低い1350mで、果物が茂る亜熱帯気候に属す。ブータン王国では昔から標高が高く積雪のある高地から、冬の間はプナカのような低地に移動して冬を過ごす生活スタイルが伝統的に残っている。
プナカ・ゾンはブータン王国のなかでも歴史的、信仰的に最も重要なゾン(砦)で、観光客に対しても限定的に解放している貴重な伝統的建物である。現在は通年首都ティンプー、タシチョ・ゾンの僧侶たちは、厳しい冬の間はこのプナカ・ゾンで修行生活を送る。
このなかにはチベット仏教・ドュク派の祖シャブドゥンの遺体が眠る。シャブドゥンは1616年にチベットから秘宝とされていたランジュン・カルサパニ(観音菩薩像)を持ち出し、ブータンへ亡命。それまで群雄割拠状態だったブータンをひとつの国家としてまとめるために各地にゾンを建設し、モンゴルやチベットからの襲撃に対し民を守ることに成功した。その功績で人心を集めたシャブドゥンはドュク派を国教とした政教一致の国家「ドュク・ユル(雷龍の国)」を宣言し、これがブータン王国の誕生となった。
ブータン史の開祖が眠るプナカ・ゾンからさらに車で進むと、ゆるやかな丘陵地帯と共に美しい棚田が現れる。さらにその先の小高い丘の上に立つのがコモ ウマ・プナカだ。すでにオープンして5年が経つというが真新しい印象がする。建物の外壁は黄土色の土壁、柱や梁などに使われた天然木が放つ香りが清々しい心地にさせてくれる。控えめな笑顔の地元スタッフにエスコートされて大きな木の扉の奥に入ると、目の前に飛び込んでくる吹き抜けのラウンジスペースと窓一面に広がる絶景に旅の疲れも吹き飛んでしまう。これぞブータンの原風景と呼んでよいだろう。
緑豊かな山と、隠れるように石造りの小屋が点在し、山の頂きにはお寺なのだろうか金色の屋根が見える。ラウンジスペースは石や白木などの天然素材でできていて、景色を眺めて過ごすにはぴったりの革のソファーと暖炉がある。施設としてはレストラン一つと離れにスパ、それと客室があるだけ。しかし、ラウンジからの眺望だけで全てが理解できた。ここウマ・プナカに滞在する意味はただ一つ、「何もしないでブータンの原風景に浸ること」だと。
朝方、かなり激しい雨が降っていたので少し早めに目が覚めた。珈琲を淹れて、客室の窓を開けてテラスに出ると、すでに雨はやんでいた。目の前に流れる川と棚田へ山の上から霧が降るように立ちこめている光景には、美しさと共に自然の驚異すら覚えた。それはまるで、龍が雲を纏って山を降りてきたかのようで、刻々と迫る霧の躍動感と幻想的な棚田をただただ眺めて過ごした。
ホテルスタッフに朝はレストランからの景色が美しいと教えられていたので、少し早めに朝食を摂ることにした。レストランの外には石造りの広いパティオがあり、雨上がりの草の匂いや朝陽を反射させる石畳がなんとも心地よい。スタッフは伝統衣装のキラを着てテーブルセットをし、遠くのあぜ道からは子供たちのはしゃぐ声が聞こえてくる。ゆったりと時が流れ、自分がなくなっていく感覚。思わず「これがシャングリラか」と呟く。全てが美しく完璧で心癒される朝だった。
霧に包まれた幻想的な光景は神秘的で自然の恩恵に感謝する。
大自然の中でいただくオーガニックな朝食は体だけでなく心も豊かにしてくれる。
ブータンの伝統的な料理をアレンジしたヘルシーな料理は日本人の舌によく合う。
COMO Uma Punakha
Botokha Kabesa Punakha Kingdom of Bhutan
res.uma.bhutan@comohotels.com
■ブータンツアーのお問い合わせは下記まで
株式会社エス・ティー・ワールド 渋谷駅前店ブータンデスク
TEL 03-6415-8618
shibuya@stworld.co.jp
幸せの国、ブータン王国 ~地上最後のシャングリラ~
チベット仏教の宗教的建物が多く、この国の人々の信心深さに感銘を受ける。
近年、「世界一幸福度の高い国」というフレーズで注目されるブータン王国。そもそもこの評価はブータン王国の第四代国王ジグミ・シンゲ・ウォンチュックが1976年、「国の経済力を高めることも大事だが、国民が幸せであることの方が大切である」という考えのもと、「国民総幸福量(GrossNational Happiness)GNH」で国の発展の度合いを測ると提唱したことをきっかけとする。それは当時、「経済力=国力」を標榜し、高度成長過程の真っ只中だった先進国を自認する人々に大きな衝撃を与えた。「ヒマラヤの山奥の鎖国同然の国に暮らす人がなぜ世界で最も幸せだと言い得るのか?」と。
第四代国王が国民総幸福量を提唱する前、1970年代以前に訪れることができた外国人はごくわずかだった。チベット仏教は小乗から大乗へと変遷していく仏教のなかでも最も密教化した教えを汲む。その特異な宗教観と厳格な国民性のため、周辺国、特に西洋化と呼ばれる文化や政治体制からはほぼ完全な鎖国同然になっていく。そのことが、逆にアジアの文化や宗教に傾倒する外国人にはこれ以上無い興味を抱かせることになった。チベット文化圏最後の砦として、ついには「最後のシャングリラ」とまでいわれ、旅人を「チベット仏教最後の王国」へ足を向かわせることとなっていったのである。
巨大なマニ車を回しながら熱心に経文を唱える老人。この国では仏教が生活の中に溶け込んでいて特別なことではないそうだ。
ブータンの建築は土壁や軒など日本の建築様式に似ているが、鮮やかで繊細な装飾はチベット密教の芸術文化の影響が色濃くみられる。
タチョガンに通じる鉄鎖の橋。たなびく鮮やかな色の布は「ルンタ」と呼ばれ、風に乗せて祈りを捧げるために吊るされている。
Bhutan /ブータン王国
ヒマラヤ山脈東端の南斜面にあり、日本の九州よりわずかに小さい3万9000平方キロメートルの面積に約60万人が暮らす。その国土のほとんどは森林地帯で、20%は万年雪に覆われる。