LIFE STYLE in LA
憧れていたビーチバム、 マリナ・デル・レイでの暮らし
―― このビーチハウスはテッド・トキオ・田中さんが建築設計とデザインを担当されたそうですね。ベニスビーチを目の前にしたビーチハウスの住み心地はいかがですか。
ウォルターさん(以下敬称略)
暮らして感じるのは、テッドは光の感覚が素晴らしいということ。細長い土地に建つにもかかわらず、4階建てのフロアすべてに採光にあふれる空間を生み出してくれました。
ボビーさん(以下敬称略)
もともとこの場所には二世帯向けのデュプレックスが建っていました。この土地の建築条件が変更されたために建て直しをすることができなかったので、テッドには2つのユニットを1つに結合して欲しいとリクエストしました。元々あった家を改装することしかできなかったんです。そんな限られた条件でのデザインだったにもかかわらず、テッドは私たちを幸せにしたいという一心でのわがままに完璧に応えてくれました。
―― 青空の下に白亜の瀟洒な建物がとてもきれいに映えますが、家のデザインではどういった点にこだわったのでしょうか。
ウォルター
私たちは以前、ビバリーヒルズでイタリアのヴィラスタイルの家に19年、その前はサンタモニカのカントリースタイルの家に住んでいました。伝統的な家で暮らすことが長かったので、コンテンポラリースタイルの家は憧れでした。ハードエッジではないコンテンポラリースタイルの家での暮らしは、きっと素晴らしいに違いないと思ったのです。
ボビー
夫は長年、ビーチバム(海辺の遊び人)になるのが夢だったんですよ(笑)。バムパーティーがどんなに楽しいものかは私は知りませんが、彼の夢は叶いましたよね。
ウォルター
テッドと一緒にボビーが僕の夢を叶えてくれたんですよ。僕は幸せだと思います。
―― ビバリーヒルズやサンタモニカはどちらも素晴らしい環境にありますが、以前住んでいた場所と比べると、マリナ・デル・レイ、しかも、ビーチフロントでの毎日はいかがですか。
ウォルター
暮らす土地によってライフスタイルは異なるものだと実感しています。マリナ・デル・レイに移ってきて7年になりますが、以前と比べてとてもアクティブになりました。退職して時間にゆとりが生まれたことも関係していると思いますが、外に出ることが増えた点が大きな変化です。この辺りにはアクティブになることができる環境が整っています。サイクリングロードも充実していて、パシフィック・パリセードまで続いているんですよ。
ボビー
街に住んでいたら『天気がいいから通りを散歩しましょう』とはなかなかなりません。でも、ここでは『ビーチを散歩しましょうか』ってすぐに言いたくなりますね。ベニスビーチ沿いをサイクリングしていると、海で気持ちよさそうに泳ぐイルカに遭遇することもあるんですよ。
ウォルター
僕も先日、マリーナ内をイルカの親子が泳いでいるのを見ましたよ。目の前で泳いでいるなんて信じられませんでした。自然がいっそう身近になったことは確かです。
ボビー
近所付き合いもとてもカジュアル。ここではほとんどみなが犬を飼っているから、犬の散歩をしていると、犬を介して近所付き合いが増えていくんです。ジーンズ姿でも気にならないし、カジュアルなのも気楽です。
ウォルター
ベニスビーチのボードウォークを歩いていると、たまにはちょっと変わった人もいるけど、ベニス大通りにはファインレストランやファインアートのギャラリーも多くて、散歩をしながらよく出かけます。ほかの場所とは異なるライフスタイルが営まれていますね。
アートに対する情熱
手の届くところに白いビーチが広がる。左の白い建物がジフキンご夫妻が暮らすビーチハウス。
―― 家のなかでは絵画や彫刻が素敵なインテリアになっています。
ウォルター
絵画や彫刻を中心に、コンテンポラリーだけではなく伝統的なものやアメリカの印象派を集めています。収集し始めた頃は伝統的なアート作品が中心でしたが、徐々に現代アートへと幅が広がってきました。アートコレクションには情熱を持っているんですよ。
ボビー
夫のアートに対する情熱はものすごいものがあります。私ももちろんアートを愛していますが、もし夫にコレクションのすべてを任せていたら、部屋の壁という壁が1インチの隙間も残さずに絵画で埋まってしまうのではないでしょうか(笑)。
ウォルター
天井もあるから大丈夫だと思うけど(笑)。とにかく、アートコレクションが大好き。作家や作家が描いた時代、意図しようとしまいが、彼らが描こうとしたことや感じたことを作品から学んだり。私にとって趣味以上のものとなっています。
―― 部屋にある絵画にまつわるエピソードがあればお聞かせいただけますか。
優しい日差しが心地よいリビング。このビーチハウスでは息子さんのウエディングパーティーも行われたそう。
ウォルター
集めた作品のすべてに対して言えることですが、僕はどのようにその作品と出合い、どのようにその作者について学び、どのようなディーラーから購入したかをすべて覚えています。購入した頃、僕はその作品に何を感じ、その作品と一緒に成長するにつれて僕の感じ方がどのように変化してきたか――。そういった想いすべてがストーリーとなって作品の背景に存在するんですね。
例えばリビングの壁に飾っている青い花の絵画は、ドロシー・アターニーという画家が88歳の時に描いた作品です。ある時、ニューヨークのギャラリーで絵を鑑賞していました。その時は何も購入しませんでしたが、1ヵ月後、そのギャラリーを案内してくれた女性から連絡をいただきました。同じ建物にも別のギャラリーがあり、そこでドロシーの展覧会を見たというのです。その女性は僕にドロシーの作品はきっと気に入るだろうと言ってくれましてね。彼女が電話をくれた時、僕は作品を見ていないのにもかかわらず、感覚的にその絵画のイメージを想像することができました。そして、ニューヨークへ飛んで行って絵画を見ると、思った通りにその作品に魅了されてしまったんです。とても運命的な出合いだと思いませんか? これが青い花の作品の背景にあるストーリーです。こういったストーリーがどの作品にもあるんですよ。
ボビー
夫と美しいものを共有できることは素晴らしいと思います。アート作品を一緒に見ていると喜びを感じてなりません。
タフな映画産業での活躍
―― ウォルターさんはハリウッドを代表するエージェンシーである、ウィリアム・モリス・エージェンシー(WMA /現ウィリアム・モリス・エンデバー・エンターテインメント)で名誉会長を務められています。そこではどのようなお仕事をされていたのですか。
ニューヨークで出合った青い花の絵画。
ウォルター
1898年に設立された会社で、エンターテインメント産業を中心に映画監督や俳優と契約を結び、彼らの代理となって様々な交渉をしていました。
ロースクールを卒業して弁護士としてCBS テレビで2年半ほど働いていた頃、WMA の経営者の一人に誘われて入社しました。いまから45年も前のことです。ロースクールを卒業した頃は、エンターテインメントの世界に足を踏み入れるとは思ってもいませんでしたが、いま思えばとても幸せでした。
ボビー
一つ言えることは夫は決して退屈することなく、毎日が刺激的で楽しんでいたようでしたよ。
ウォルター
たくさんのストレスはあったけど、確かに退屈したことは一度もありませんでしたね。
―― 忘れられない思い出のストーリーはありますか。
どのアート作品にもそれぞれの思い出が詰まっている。
ウォルター
クライアントのプライバシーに関わることなので、あまり多くは話せませんけど、クリント・イーストウッドが映画にデビューした頃の話ならいいでしょう。
彼は長い間、WMA のクライアントでした。彼がテレビドラマ「ローハイド」でデビューした時は私たちのクライアントとしてサインしたんです。そのテレビドラマが終了してから、彼は映画の世界に進もうとしました。しかし、1960年代当時はまだ、テレビ俳優は映画俳優よりも下に見られ、誰も賛成しなかったんです。
ところが、私たちのオフィスがローマにあり、そのオフィスを運営する女性から『クリントのための映画を見つけた』と連絡が入りました。もうお気づきかと思いますがその映画はイタリアで爆発的な人気を誇ることになる『スパゲッティ・ウエスタン(マカロニ・ウエスタン)』です。
映画のプロデューサーが言うには最初の契約料は1万5000ドル。僕は弁護士でもあったのでこの件を担当しました。でも、アメリカでは誰もこのプロデューサーの名前を聞いたことがなく、契約をしてクリントをイタリアに送るには信用が足りません。だからお金を確認できるまでは契約を結べないと断ったんですね。するとこのプロデューサーがアメリカに突然やってきて、会社の駐車場の前で立っているんですよ。そして、彼は僕の手の平の上で持ってきた1万5000ドルを数え始めたんです。これがクリントの映画俳優としてのキャリアの始まり。僕が駐車場でお金を数えていなければ、彼はいまのように有名になっていなかったかもしれないんですよ(笑)。
―― エンターテインメントの世界は華やかに見えますが、実際はタフで簡単なビジネスではないと思われます。そんな世界で長く活躍されてきたウォルターさんのビジネス哲学はどのようなことでしょうか。
ウォルター
一年を通じて自然に、そして人に対して正直でいることです。もちろんこの業界はタフでシビアです。そんななかで、誰かが目的を達成しようとする時、その人のために戦ってくれると期待されるようなビジネスをしなければなりません。そのためには自分が強くならなければ、クライアントと関係を築くことはできません。時として攻撃的にならなければならない場面に遭遇します。しかし、正直で他人に対してまっすぐでいる限り、信頼や名声は自然と付いてくるものです。常に自分に言い聞かせてきたことは、「タフであれ、誠実であれ」という言葉でした。
地域コミュニティへのために
―― WMA の名誉会長になられてからは、地域コミュニティへの参加や社会的活動にも積極的に取り組まれていますね。
トップライトから柔らかな光が届く書斎。
ウォルター
最近では前ロサンゼルス市長にエアポート委員会の委員長に任命されたり、地元のシーダーズ・サイナイ病院の理事長などを務めさせていただいています。とても名誉なことだと思っています。
病院では看護師への奨学金を設けました。多大な貢献をした看護師や一歩進んだ勉強をしたい看護師たちに寄付をしているのです。この活動にはボビーも積極的に参加しています。
ボビー
病院に行ったら誰もが看護師の存在をもっとも大切だと思いますよね。過酷な状況で働く彼女たちにもっと素晴らしい看護師になってもらえるように、勇気を与えたいのです。また、彼女たちの多くは病院で長時間、患者と顔を合わせているわけです。看護師をしながらも自分の家族があり、もっといい看護師を目指して継続的な学習をしようとしても、その手段を持たない看護師が多いのです。だから奨学金というのはとても意味を持つと思っています。
―― アメリカではなぜ社会的活動が積極的なのでしょうか。
テッド・トキオ・田中さんがデザインしたビーチハウスの前で。ご夫婦仲良しの秘訣は「妥協よ(笑)」とボビーさん。
ウォルター
社会参加の歴史がありますからね。でも私たちも社会のために取り組むことで、単なる満足感ではなく、もっと深い何かを得ていることは確かです。例えば、ホロコーストに関して、第二次世界大戦中に強制労働させられた人々がオーストリア政府に賠償金を求めているという裁判があるのですが、私はその裁判官から依頼され、補助裁判官になったことがありました。そこで私は小さな役割しか果たせませんでしたが、自分のなかではこの活動が重要な意味を持ちました。世の中に対して貢献できたことで、何かを得たと思っています。そういうことをアメリカの人々は分かっているから社会に対して積極的に参加できるのではないでしょうか。
ボビー
私も21年前、エリザベス・グレイスが小児教育基金を設立したのを機にボランティアを始めました。第三世界でのエイズの撲滅を使命に活動に参加しましたが、この出来事をきっかけにコミュニティをはじめ、社会に対して積極的に活動できるようになり、私の人生のなかでもとても重要な出来事だと感じています。ウォルターと同じように、振り返って考えると、私も自分自身のためにもなっていますよね。
ウォルター
私の両親はロシアからこの国に移民してきて、家族のなかで大学に通うことができたのは私が初めてでした。UCLA で学ぶ機会を得て、素晴らしい学生生活を送ることができ、卒業後、南カリフォルニア大学のロースクールに奨学金を得て入学できたのも幸運だと思っています。一度進むべき道を確立し、幸せな結婚をし、二人の子供も授かり、長い道のりをみなに支えられながら今日まで歩むことができました。いまではこんなに素晴らしい家でボビーと一緒に幸せな毎日を送っています。ボビーもそうですが、これからもずっと、これまでの人生で自分たちを支えてくれた社会に対して、社会的活動に取り組むということで何かを還元していきたいと考えています。
―― いろいろなお話をお聞かせいただき、ありがとうございました。最後に、素晴らしいビーチハウスで暮らし、社会的活動にもお忙しいとは思いますが、今後の目標はありますか。
ボビー
孫が早く欲しいです! 息子や娘には催促しても仕方ないので何も言えずに待っているだけですけどね(笑)
ウォルター
言ってみてごらんよ。成功するかもしれないから(笑)
ロサンゼルスの魅力 <コラム>
眩しい太陽と盛りだくさんの魅力
エンターテインメントの街、ロサンゼルスへ
ロサンゼルス観光局 ロサンゼルス国際空港 アジア・パシフィック地区代表
安達 正浩 さん
LA INC. The Los Angeles Convention and Visitors Bureau
Los Angeles World Airports
左/ロサンゼルス国際空港エンカウンター・レストラン、 中/サンタモニカ・ビーチ、 右/オルベラ街
ロサンゼルスといえばエンターテインメントの街。映画をテーマにしたユニバーサル・スタジオ・ハリウッドやディズニー・カリフォルニア・アドベンチャー・パークのような夢を与えてくれるアトラクションがたくさん。人を喜ばせるエンターテインメントには事欠きません。街全体がサービス精神旺盛で、誰でも陽気に迎え入れるホスピタリティ・マインドに溢れています。
いろいろな国や地域から人が集まって街を形成しているのもロサンゼルスの特徴です。現在では140もの国や地域の人々が互いの文化を尊重しながら暮らしています。リトル東京はもちろん、タイタウンやリトルエチオピアなど様々なコミュニティがあり、多様な文化に気軽に触れることができます。文化と文化が混じって新しい文化が生まれることもあります。フュージョン料理などはいい例ですね。新しい文化の発信地としての土壌がロサンゼルスにはあるんです。
ロサンゼルスでいま、もっともホットな話題といえばダウンタウンです。市の大きな再開発プログラムが進められ、街全体が大きく変わりつつあります。その一つのプロジェクトがLA ライブです。スポーツエンターテインメントをテーマにした複合施設には、LA レイカーズの本拠地ステイプルズセンターやコンベンションセンターがあり、その周辺にシネコンやレストラン、クラブなどが次々と誕生しました。エミー賞の会場となるノキアシアターやグラミーミュージアムなど見所もたくさんあります。是非とも新しくなったダウンタウンに足を運んでもらいたいですね。
これからの時期、特にお薦めしたいのがLA フィルによるハリウッドボウルでの野外ライブです。5月から9月までの期間、野外音楽堂でカジュアルにピクニックを楽しみながら、一流の音楽を楽しむことができます。今年はいまをときめく指揮者、グスターボ・ドゥダメル氏がLAフィルの音楽監督に就任し、世界中のクラシックファンからも注目されています。
世界のラグジュアリーホテルが集まるのもロサンゼルスの特徴です。最高のロケーションで心地よいサービスに身を委ね、ファインダイニングで有名シェフの料理に舌鼓を打ったり、プールサイドでリラックスしたり……。もてなし上手なロサンゼルスはみなさんの思うままの望みをきっと丸ごと受け入れてくれるはずですよ。
左/ステイプルズ・センター、 中/ハリウッド・ボウル、 右/ウォルト・ディズニー・コンサート・ホール
※写真提供:ロサンゼルス観光局