――御茶屋屋敷の粋と洗練――武家の温泉宿に憩う
星野リゾート 界 長門
江戸時代、参勤交代の宿場町として栄えた山口県長門市の長門湯本温泉。
“神授の湯”と言われる霊験あらたかな温泉を抱くこの街に、“温泉街再生プロジェクト”というセンセーショナルな話題とともに開業した星野リゾートの温泉旅館ブランド『界』が、圧倒的な存在感を放っている。
取材・文:朝岡久美子
『界 長門』は長門湯本温泉街の最も美しい景観を眺める最高のロケーションにたたずむ。正門“あげぼの門”。藩主の御茶屋屋敷にふさわしい精悍なたたずまいを見せる。
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右/露天風呂を備えた庭付のご当地部屋“長門五彩の間”特別室。“五彩”は、客室を彩る山口県の伝統工芸である萩焼・徳地和紙・萩ガラス・大内塗、そして、窓から眺める四季折々の景観の5つのエレメントを意味する。
左/ベッドボードを華やかに彩るのは、山口市の無形文化財「徳地和紙」。希少な和紙にシンメトリックに模様が染められている。本来、A4サイズほどが通常とされ、宿のために職人が技を尽くし、新たな境地を切り開いたという。
質実剛健さと人情味あふれた
温泉街の新たな門出
山口県宇部空港から車で約70分。鍾乳洞で有名な秋吉台を超えると長門市に入る。道すがら、広大な里山の情景に心安らぐ。
長門湯本温泉の開湯は1427年。江戸時代、参勤交代の宿場町として栄え、萩を拠点とした毛利藩の歴代の大名たちがこよなく愛した湯治場としても知られる。600年の歴史を誇る山口県最古の温泉は“神授の湯”としても名高い。
その昔、長門湯本の禅寺大寧寺の住職は、境内の石の上で座禅を組む一人の老人を見かける。老人は住職の説法に感銘を受け、その日以来、寺に足繁く通い、ついに仏道を納めた。住職から法衣を贈られた日、老人は住職の秀でた法話への報恩として湯を与えたのだという。実は、その老人の真の姿こそ、長門一宮(下関)の住吉大明神だったのだ――。何世紀もの歳月を経た今なお、地元の人々は、その霊験あらたかな御由緒を誇りに、武家文化の中に栄えた古式ゆかしき温泉文化を大切に受け継いでいる。
長門湯本温泉街は、2020年3月、数年にわたる官民一体となった街再生プロジェクトを経て、新たな一歩を踏み出した。未来の温泉のあるべき姿を見つめる次世代のチームが知恵を出し合い、進化を遂げた歴史ある温泉街は、斬新さと洗練を湛えながらも、質実剛健さと人情味にあふれ、生き生きとした姿を描きだしていた。
川沿いを渡る心地よい風――。春は満開の桜に満ち、初夏から夏にかけては蛍の光が照らす清流音信(おとずれ)川を中心に、古き良き温泉街をそぞろ歩く楽しみは尽きない。街を包み込む山々の優しいシルエットを背に、五感が潤う自然の美と造形美を融合させた開放感あふれるランドスケープがそこはかとない旅情を誘う。
武家文化の美の本質に触れるひととき
昨年、温泉街の新たな門出とともに、星野リゾートの温泉旅館ブランド『界』軒目の施設となる『星野リゾート界長門』が誕生した。街の最も美しいロケーションに姿を現した御茶屋屋敷を彷彿とさせる『界長門』の勇姿。かつての栄華を偲ばせる美しい宿が、再生プロジェクトの先陣を切る形で開業したことは、街の人々に大きな希望を与えたという。
御茶屋屋敷とは、江戸時代の宿場街で大名らの宿泊、休憩のため敷設された施設のことだ。極限までに削ぎ落された武家文化の美を感じさせる『界長門』のたたずまいは、ひと際、凛とした存在感を放ち、生まれ変わった温泉街に一つの貌を描きだす。宿から眺める枝垂れ柳や桜の淡い情景とのコントラストが、よりいっそう、在りし日の小粋な宿場町の風情を偲ばせる。
全40室。館内や客室空間は、藩主の居室や寝室がイメージされており、当地に華開いた勇壮な武家文化を、大胆に、斬新な手法で生まれ変わらせることによって、知られざる珠玉の美を、私たちに、よりいっそう身近に感じさせてくれるのだ。
安らぎの間にさりげなく置かれた萩焼のオブジェの素朴な土の風合いやあたたかみに自ずと目が奪われる。ダイナミックな造形美が、たおやかに、しかし、強い意志と言葉を放つ。
落ち着きある華やかさの中にある武家文化の美の本質と、その豊かさを心にゆったりと刻む至極のひととき――。時の流れを忘れ、在りし日の栄華に浸る醍醐味は、温泉の魅力に勝るとも劣らない旅情と癒しを与えてくれる。
各地の伝統の魅力を伝える『界』ブランドの新たなプロジェクト
マイクロ酒(シュ)ーリズム
Withコロナ時代の旅のあり方として、あえて近距離圏内を訪れ、その地域の良さを知る「マイクロツーリズム」を提唱し続ける星野リゾート。全国に展開する界ブランドは、各地域の酒蔵などと連携し、地酒の良さを伝える「マイクロ酒(シュ)ーリズム」をご紹介しよう。
近隣エリアを旅しながら、いつもは何気なく通り過ぎていた地域の魅力を再発見するマイクロツーリズム。コロナ禍においては、もはやニューノーマルスタイルの旅のかたちとなりつつある。日本の温泉宿の魅力を発信し続ける『星野リゾート界』では、各地域の地酒に注目し、温泉宿での滞在を兼ねた、オンラインでのローカルな酒蔵見学、地酒の飲み比べ、会席料理とのペアリングコースなどを提案している。
界 アルプス
水も酒もうめぇずら滞在
アルプスの玄関口・大町温泉郷に位置する『界 アルプス』では、地酒の仕込み水について知り、飲み比べを楽しむ滞在を提案。地酒を味わう前に、硬度の違う二種類の仕込み水を飲み比べ、後に地酒を味わう本格的なプログラム。地元で有名な小谷(おたり)杜氏らのメッセージを含む、近隣の酒蔵の動画やテキストが閲覧できるのも嬉しい。大地の恵みと水が醸す酒づくりの奥深さをゆったりと体感する。
界 加賀
地酒と器のマリアージュ入門
『界 加賀』ゆかりの美食家・北大路魯山人の「器は料理の着物」という哲学に基づき、地酒と器のマリアージュを再発見する滞在提案。料理は盛りつける器との調和によって引き立てられ、美味しさが決まるという魯山人の言葉を酒の魅力を通じて学ぶ、地酒と酒器のマリアージュ入門プログラム。日本酒ソムリエの最高資格酒匠の称号を持つ地元日本酒のスペシャリストの協力のもと、同ステイ用に制作されたオリジナルガイドブックで学べるのも嬉しい。
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上/「加賀伝統の盃比べ」。山代温泉の地酒と加賀伝統工芸の酒器を堪能する。地酒は地元山代温泉で栽培した酒米と霊峰山薬王院温泉寺の井戸水を使用。酒器は色鮮やかで繊細な九谷焼、木目を生かした山中漆器、九谷焼と江戸硝子を融合させた九谷和グラスの三種が並ぶ。
Information
『界』で地元の美酒を再発見する「マイクロ酒(シュ)ーリズム」
期間:2021/4/1~(界 アルプス)、6/1~8/31(界 加賀)各施設のフロントにて受付
星野リゾート×長門湯本温泉観光まちづくり計画
長門みらいプロジェクト in 長門湯本温泉
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ここ数年、長門湯本温泉の名を耳にするようになった。2016年、ロシアのプーチン大統領来日の際に長門湯本温泉の老舗旅館で一行を歓待する光景が日々テレビの映像でも伝わり、注目を浴びたのも記憶に新しい。
しかし、この温泉街がふたたび脚光浴びるまでには、一つの道のりがあった。全国温泉ランキングTOP10入りを目指す長門湯本温泉街の再生プロジェクト「長門みらいプロジェクト」の軌跡をご紹介しよう。
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「長門湯本温泉観光まちづくり推進会議」における星野リゾート代表 星野佳路氏。
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下/ランドスケープをさらに美しく描きだす照明デザイン。
上2点/古民家をバーやショップ、シェアハウスに改装する空き家リノベーション・プロジェクトなど、魅力的な温泉街の形成に向けた民間プロジェクトも進行中だ。
星野リゾート主導による温泉街再生プロジェクト
長門湯本温泉街の全盛期は、昭和30年代から末は50年代初頭までと、ほぼ高度成長期時代の軌跡と連動する。こじんまりとした温泉街ながら、人情味あふれる規模の湯の街には、劇場もあり、芸者の行き交う活気に満ちた光景が繰り広げられていたという。その後、粋な情景を生みだしていた温泉街にも大衆消費文化の波が訪れる。しかし、時代の流れとともに湯本の街も少しずつ活気を失い、気が付けば後継者のいないシャッター街のような温泉街になっていたのだという。
東京オリンピックを控えた2016年、往年の活気あふれる温泉街を復活させるべく、一石を投じた人々がいた。長門前市長、大西倉雄氏の情熱あふれる言葉に説得されたのは、星野リゾート代表の星野佳路氏だ。
「王道なのに、あたらしい。」という温泉街のコンセプトでブランド展開を繰り広げる星野リゾートに、温泉街に新たな息吹を吹き込むべく、長門市は宿の進出を打診したというが、星野氏は、あえて、「長門湯本の街全体を再生するプロジェクトを手がけるチャンスを与えてくれるなら」と提案し、よりスケールの大きな規模 での“仕事”を受諾した。こうした流れの中で2017年に発足したのが「長門湯本みらいプロジェクト」だ。
星野リゾートが策定した街再生のための「長門湯本温泉マスタープラン」をもとに、温泉街の事業者、住民、そして、ランドスケープやプランのソフト部分を開発するエキスパートたち、民間の出資者が集い、そこに県や市、銀行等が後方支援するという、官民が理想的なかたちで手を取り合う画期的なプロジェクト。まずは2020年3月、街の中心にある「恩湯」や『星野リゾート 界 長門』が開業。コロナ禍の惨事に見舞われながらも、次々とカフェや食堂、そして、古民家などの空き家リノベーションなどの民間プロジェクトが実現していった。個々のプロジェクトは、段階的にミッションを広げつつ現在も進行中だ。長門湯本の街は、よりいっそうの景観充実化に向けてさらなる進化を遂げつつある。
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「玉仙閣」専務取締役 伊藤就一氏。
昨年、伊藤氏ら、街を牽引する事業者たちは、マネジメント法人「長門湯本まち株式会社」を設立。今後も、きめ細やかな目線で未来を見つめる温泉街に画期的なミッションを成し遂げてゆくことだろう。
人と人との絆がつなぐ持続可能な街づくり
星野リゾートのメンバーとしてプロジェクトにかかわった『界 長門』の総支配人三保裕司氏によると、プロジェクトの成功の鍵は、温泉街の事業者を代表する老舗宿の主人たちが自ら借金を負ってプロジェクトをリードするという、大きなリスクを取って住民たちに街再生への熱意を示したことが大きかったという。街の歴史を牽引してきた旦那衆たちの末裔たちが、地域住民との一体化への思いを示した誠意ある姿が、温泉街の中心地に住む住民たちの観光地化への不安を払拭したという。
このプロジェクトにおいて、もう一つ注目される点は、再生を果たした街の景観やインフラを維持し、さらなる持続可能性を持たせるために入湯税が有効的に活用されていることだ。意外にも、このシステムは全国的にも珍しいという。
長門湯本の入湯税は300円。通常150円前後の温泉街が多いが、その二倍の金額を訪れる人々に貢献してもらい、将来性のある進 化を着実に実現することでさらな る街の発展に還元していく。
現在プロジェクトを牽引するメンバーの一人、伊藤就一氏はこう語る。伊藤氏は老舗旅館「玉仙閣」の専務取締役で、温泉街の事業者を代表する一人だ。
「持続可能なコミュニティを創り上げるために、それらを享受する人々が税を支払い、受け手側が持続可能な経済圏を進化させ、維持してゆくのは、本来のあるべき理想の姿だと考えています。私たちは、伝統と歴史ある温泉街を担うものとして、決して一過性では終わらない仕組みを投じていくことが重要なのです」
だからこそ、歩きやすい遊歩道の整備や美しく幻想的にデザインされた夜のライトアップなど、付加価値のあるインフラの実現や魅力づくりが次々と実現し、それらをきめ細やかに制御し、維持できるシステムをつくりあげることが可能となったのだ。
「私たちも、一挙に訪れる人々が増えるよりも、同じお客様が時期を変えて何度も訪れて下さることを念頭においてのプロジェクトを想定しています。再び訪れた方々が、また新たな視点で街の姿を感じ、その中に息づくものやコトへの理解や思いがさらに深まっていくというかたちが一番の理想だと考えています。
それには、持続的に多様な体験プログラムやプロジェクトなどのソフト事業を生みだし、機能させてゆくエキスパートチームたちやクリエイター、そして、出資者を引き寄せるために、街の魅力を正しく、効果的に発信していかなくてはいけないですね。そうでないと、この街で事業を起したいという若い世代にバトンを渡せないで、再び持続可能性を失ってしまいます」
伊藤氏は、最後にこう語ってくれた。「街づくりの基本というのは、紹介が紹介を呼んで人と人同士が繋ぐネットワークなんです。やはり、そこでも軸になるのは持続可能性のある事柄や思いが人と人をつないでゆく。同じベクトルを共有した人同士というのは、ずっと繋がっていけるんです」
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右/生まれ変わった立ち寄り湯「恩湯」。長門湯本温泉は、街を流れる音信川を中心に、「恩湯」と呼ばれる外湯をコミュニティの真ん中に抱く。再生プロジェクトにおいては、川と外湯を中心とした回遊性のある街づくりが重要視された。
左/今後、さらにユニークな川床がお目見えしそうだ。
新生 長門湯本温泉街の多彩な魅力
新生 長門湯本の魅力は、歴史に育まれた武家由来の質実剛健で削ぎ落された美の重厚感を現代人の洗練された感覚やライフスタイルにふさわしいかたちで再生させた点にある。そこには、遠く県外から才能と創造性にあふれたアーティストの卵たちや大学生たちも多く参画している。
集う人々が一つに心を寄せ合い、情熱を込めて古き良きものを紡いでゆく――。長門湯本の街には、往年の活気はあふれる街の姿を取り戻すというよりも、さらに進化した街を誇りに思う自信にあふれていた。長く居れば居るほど、味わえば味わう程に、そこはかとなく心を奪われてしまう不思議な魅力に満ちた長門湯本温泉街。そんな長門湯本らしさの“本質”を心憎いほどに知り尽くした仕掛け人たちが繰り出すプロジェクトの今後の進化が楽しみでならない。
――シラス台地に育まれた壮大な自然の恵みを堪能する
星野リゾート 界 霧島
続いて、今年1月29日、新たに『界』ブランドに加わった鹿児島県霧島市の新施設をご紹介しよう。
ブランド17軒目の施設のコンセプトは、「桜島をはるかに見渡し、湯浴み小屋でうるおう宿」。風光明媚な国立公園内に誕生した鹿児島初の施設は、南九州の広がるシラス台地が育んだ壮大な営みの恵みを余すところなく体感させてくれる。
天孫降臨の神話の地へ
鹿児島空港から車で約45分。天孫降臨の神話の舞台となった高千穂峰(たかちほのみね)方面を目指して車を走らせると、途中、天照大御神の孫、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)を祀る霧島神宮の大鳥居が見えてくる。さらに、山の中腹まで登ってゆくと、『界 霧島』へとたどり着く。
すがすがしい山の空気に包まれ、ロビーエントランスを入ると、瀟洒なアースカラーの山小屋風ロッジのような空間に遭遇する。モダンながらも、日本式の温泉宿ブランドとして日本全国の温泉地の魅力を伝えてきた『界』ブランド初の異色なたたずまいが印象的だ。
さらに客室が並ぶ奥深くへ。都会のシティホテル風の廊下を行き、いざ客室の扉を開ける。瞬間、遭遇したのは錦江湾の壮大な絶景。桜島を抱く鹿児島湾の眺めだ。180度をゆうに超えた大パノラマが眼を奪う。実は、ロビーエントランスで体験した、天井が低く、窓からの景色も屋根裏部屋のように限られていた平屋造りは、この絶景を十二分に楽しんでもらうための心憎い演出だったのだ。訪問前の読者にネタバレは宜しくないが、この瞬間の感動は、予備知識があっても、何度体験しても新鮮に思えることだろう。
遥かに、至近に超絶景を楽しむ
『界 霧島』の総敷地面積は約50万平方メートル。さすがに国立公園内の落差メートルにわたる斜面一面を贅沢に使用しているだけに、壮大なスケールを誇る。
客室は全室桜島ビュー。毎夕、桜島の右手側に静かに落ちて行く美しい夕景。空と地平線と桜島が織りなす色彩のハーモニーをゆったりと堪能できるのは至福の極みだ。山間の天候だけに、気まぐれな天候に見舞われることも多々あるというが、霧と靄に包まれた桜島もまた神々しく、神話の地にたたずんでいることを想い起させてくれるのだ。
南国の高原の香りを一杯に吸い込む。ほのかな硫黄の香りが不思議と癒しを誘う。遥かにたたずむ桜島の勇姿に目を奪われていると、至近の梢からホトトギスの美しい鳴き声が聞こえてきた。それ以外は物音一つしない静謐さに満ちている。心洗われる情景とは、このようなものだと実感せずにはいられない。
ワーケーションでの長期滞在も現実のものとなっている昨今、もし、数倍もの実りあるパフォーマンスを期待するなら、ぜひとも『界 霧島』でのワーケーション+温泉三昧の滞在を考えてみてはいかがだろうか。