ダンディズム―。それは各人が持つ美という概念への洗練された思考なのだろうか。
あるいは、高貴なる内面の精神性を意味するのだろうか。
恐らく、その二つともが正しいのだろう。
しかし、真のダンディズムとは、自分自身を輝かせる為だけのものではない。
もう一つのあるべき男の理想の姿を求めて、ダンディたちのポートレートに迫る。
人生を豊かに生きるダンディズム 保科 正 氏
日本人のライフスタイルを変えた立役者ともいわれるアルフレックス ジャパン保科正氏。
若き日にイタリアの家具に魅了されてから四十数年、つねに日本人にふさわしい生活の豊かさを追い求め、提案し続けてきた。
“家具”がもたらすものを通して、人生を豊かに生きるダンディズムを語って頂いた。
東京のショールームにて。
“どんな時も逃げずに真っ向から取り組む”。” 誠実さを持ってお客様に尽くす”。保科氏の仕事の流儀だ。
「僕は高価な物とか豪華な物にはあまり興味がないんです。自分が好きなものを好きな時に身に着ける。それがその時の場所や雰囲気に合っていれば、それでいいんじゃないかな」”イタリア生まれ、日本育ち”をコンセプトに自社製造の良質な家具を扱うアルフレックス ジャパンを率いてきた保科正氏。”住宅・生活・家族”というテーマ一筋に歩んできた。
「僕の家は大家族ですから、子供たちや孫たちと一緒にいる時間が何よりの楽しみですね。それとコンテンポラリー・アートに囲まれて過ごすのが最高の贅沢だと思っています」 アート作品も空間に温かみを与えてくれるものを選ぶという。― 家族と温かい空間― 保科氏がこだわる理由がある。
60年代、家具職人として修行生活を送ったイタリア・ミラノ。ここで氏は当時、日伊の生活の豊かさの違いに衝撃を受けたという。
自宅での一枚。現代アートをこよなく愛する保科氏。作家本人をよく知った上で、彼らの発想の原点を知ることが興味深いのだという。
「”幸せをもたらす空間”としての住まいへの思い入れが日本人とは全く違った。一緒に働いていた工場の同僚たちが、自分たちの誇れるもので設えた家で楽しく生きる姿を見てショックを受けましたね」 その時、空間を彩る家具というものがいかに個人の生活観を反映し、ライフスタイルを形作るものであるかということを身に染みて感じたという。日常に描かれるライフスタイルこそが生活の、いや心の豊かさを生みだしてゆく―。「だから高価なモノには特別に惹かれないけれど、生活を豊かにするためのモノやコトには時間もお金も労力も惜しまないようになったんですね」氏がもう一つイタリアで学んだことがある。
「物を買う時、”一生気に入って使える物を”と、愛情こめて選ぶのがイタリア流。だから、いつの時代も同じようなモデルだけれども、流行にとらわれずに、人々から長く愛される物が廃れずに店に並んでいる。僕はこういうのもイタリアのダンディズムらしさだと思うんですよ」
この精神は自社においても見事に反映されている。もちろん”日本育ち”の家具だからその進化も見事なものだ。しかし、たとえ45年前に購入された商品であっても、お客様が気に入ったものであれば、当時の形にまで完璧に修繕してお客様の元に返すのだという。氏にとっては、商品を販売した後にこそ生まれるお客様との信頼関係やお付き合いが何よりも嬉しいのだという。
ミラノに渡ったあの日から、家具という「幸せをもたらすもの」に情熱を注ぎ、それを手にする人々に”豊かさ”を与え続けてきた保科氏。優しい微笑みの中に、そんな心意気がにじみ出ていた。
保科 正 Tadashi Hoshina
アルフレックス ジャパン取締役会長。1942年、京都生まれ。多摩美術大学卒業後、グラフィックデザイナー、(株)ヴァン ジャケットを経て、67年にミラノ、アルフレックス・イタリアに入社。家具職人の世界に飛び込む。二年後の69年には日本法人を設立。昨年、社長を長男に譲り、現職。2010年にはイタリア政府より「イタリア連帯の星」勲章『カヴァリエーレ章』を受章。
言葉では表せないものが深める信頼と絆 丹下憲孝 氏
丹下氏には” 美しく年輪を重ねる”という言葉がふさわしい。
世界中のセレブリティとの華麗なる交遊録を持ち、ビジネスにおいてもますます世界にその名を馳せる丹下氏。
その根幹にある個人が目指すべきもの、そして国際人としてのあり方についてダンディズムを通して語って頂いた。
氏のトレードマークとなった東京・新宿のコクーンタワーの模型とともに。
世界6か所の拠点を飛び回る中で、積極的に被災地の復興計画への参画や国内外でのチャリティ活動にも心を寄せる。目下、無二の親友であるジャッキー・チェン氏の還暦祝いの宴を心待ちにしているという。
丹下憲孝氏が現れると一瞬にしてあたりが華やぎに満ちた。ダンディな肖像には”華”があるということを氏にお会いして実感した。「『君は歩くショーケースだね』とお客様から言われたことがありますが、ありがたいお言葉です。私共、建築家は皆さまに夢を売ることも大切な仕事の一つですから」
とは言え、丹下氏のビジネスシーンでの装いは、どんな時も三つ揃えにネクタイ着用というのがポリシーなのだそうだ。これは父・丹下健三氏の時代からの教えだという。
「装いにおいても、”プロトコール(儀礼)”を守ることが大切だということなのでしょう。でもね、僕はそこにちょっとした遊び心を加えるんですよ。ちょっと派手な裏地を選んで仕立ててもらったり、カラフルな刺繍を背中に施してもらったりと、見えないところで私流を楽しんでいます」 青年期から海外での生活が長く、現在も世界6つの拠点を飛び回る丹下氏。だからこそ、日本人らしさの本質を大切にしたいという。
「日本人はよく個性がないと言われますが、本来、旦那衆たちによって受け継がれてきた”粋”という文化が一昔前の日本にはあったはずなんです。一人ひとりが、さりげない個性をもっていた時代が。ですから、現代に生きる私たちも自分のスタイルを持つということに対してもっと自信を持たなくてはいけないですね。それこそ、装い一つにしても自らのストーリーを重ね合わせるくらいのこだわりがあってもいい。言葉には表せないことが、”なり”によって語られるということもあるでしょう」
もう一つ、ダンディな男の条件として”遊び”をあげる。
「世界に出れば出る程、接する相手の立場に立ってライフスタイルやコミュニケーションのあり方を知ることは大切です。目には見えない”あうん”の呼吸や心づかい、そんな些細なことが深い人間関係や信頼を生みだすこともある。それには、やはりプライベートの付き合いや遊びを通して得ることが多いですね」 丹下氏のダンディズムは、まさにその国際人たる仕事の流儀そのものにも思える。しかし、氏が最も心に留めていることは、服装やスタイルというものを超えて、何よりも人との出会いを大切にし、人の言葉に真摯に耳を傾けるということだ。出会う人すべてに温かいまなざしを注ぎ、全力でその人を理解する。
真の国際人にして大旦那の様な顔も持つ丹下氏。その懐の深さとスケールの大きさが世界中の人々を魅了してやまないのだろう。
大の時計好きでも知られる丹下氏。この日は愛用のリシャール・ミルのフェリペ・マッサのブティックモデルを。友人でもあるマッサ氏の人と成りを知るからこそ、このモデルには愛着があるという。
職業柄、対話を重ねることでお客様の要望を引き出すことが大切で、好感のもてる身だしなみは重要という。この日はお客様とのハワイ案件打合せのため、裏地も「心はハワイ」だそうだ。
丹下憲孝 NORITAKA TANGE
1958年東京生まれ。株式会社丹下都市建築設計代表。
85年ハーバード大学大学院建築学専門課程修了後、丹下健三・都市・建築設計研究所入所。
東京本社に加え、台北、上海、シンガポール、ジャカルタなど海外6都市に拠点を構え、官公庁舎、商業・居住施設、オフィス、ホテル、教育施設など幅広い分野の建築を手がける。代表作品に米国医師会本部ビル、フジテレビ本社ビル、モード学園コクーンタワーなどがある。
時を超えてなお輝く優雅さを伝える ガイエ・ヤン・義和 氏
ビジネスの上での日仏のかけはしになることを目指したいというガイエ氏。
氏のチャレンジングでひたむきな仕事の流儀を通して、若きダンディの肖像をご紹介する。
東京・銀座ブティックにて。
ペン、ライター、レザー小物やバッグ、トラベルバッグに至るまで豊富なアイテムが揃うS.T.DUPONTのフラッグシップ・ブティック。
S.T. DUPONTのDはダンディズムのDとも言われる。その言葉の示すように、ハンフリー・ボガート、アル・カポーネ、カール・ラガーフェルドなど時代の伊達男たちにこよなく愛されてきたブランドだ。
「S.T. DUPONTに流れるダンディズムの精神というのは、エレガンスという言葉にも置きかえることができると思います。時を超えてなお輝く優雅さというのでしょうか。どの時代にあっても違和感のない自信に満ちています」
デュポンのライターのキーンという小気味よい音を聞いたことがある人ならばきっとおわかりだろう。心憎いまでに計算されつくした完璧なフォルム。そこから滲み出るエレガンスの余韻は、まさに世の男性がうらやむダンディズムの香りに満ちている。
「人間のダンディズムも同じです。全体的なバランスと調和の中にいかに自分らしさを表現できるか。それはスタイルというより、むしろ余裕を感じさせる自信やこだわりと言ったほうがいいかもしれない」
ガイエ義和氏は、30代にしてフレンチ・ダンディズムの代名詞ともいえるこのブランドの日本における舵取りを任されることになる。日仏二つの文化圏の中で育ち、若くしてマネージメントの世界を経験してきた氏の仕事の流儀はつねにチャレンジングだ。
「よく辰年のタイプと言われるのですが、問題や困難こそ好機ととらえて立ち向かっていくことが楽しくて仕方ないんです。そもそも、この時代にライターを売るなんていうのは、世のトレンドとは反対の方向を行かなくてはいけないわけです。それを”いまや少数派となったスモーカーたちに、かけがえのないひとときを”というアプローチに置きかえればやりがいを感じますよね」なるほど逆風も商機と為すか。「たしかに挑戦的な面もありますが、心の中ではいつも皆が円滑に仕事を進められるよう日仏間の黒子の存在に徹することができれば嬉しいと思っています。だから周囲が反対するようなことでもまず自ら態度で示して、皆がついてきてくれる迄じっと向かい合う。それが僕のやり方です」
ビジネスにおいても、その志においてもまったくぶれることのないガイエ氏。つねにひたむきな情熱を傾ける若きダンディの肖像がそこにはあった。
ガイエ・ヤン・義和 Yoshikazu Yann Gahier
エス・テー・デュポン ジャポン 代表取締役社長。
1976年生まれ。97年にパリにて経済学の学位を取得。その後、ユーロメッドマルセイユビジネススクールで国際貿易を学ぶ。2000 年来日。外国酒類の輸入販売を始め、クリストフル・ジャパンにてジェネラル・マネージャーを経験した後、2010年6月よりエス・テー・デュポン ジャポンにてセールス&マーケティングディレクターを経て現職。20年続けている空手は黒帯の腕前。今年、フランス商工会議所の理事に選出。