―― 神湯とともに生きる街の画期的な再生プロジェクト ――
長門湯本温泉が描き出す新たな観光のかたち
長門湯本温泉は山口県の北西部、日本海側に近い場所に位置する小さな温泉街だ。
そこには、600年を超える最古の湯、歴史を語る老舗宿、
そして、伝統工芸――長きにわたって育まれた人間の所産のすべてが凝縮されている。
しかし、街は昭和の高度成長期を頂点にその輝きを失っていた。
令和の時代を目前にして新たな息吹を吹き込むべく始まった
『長門湯本温泉観光まちづくりプロジェクト』―――
「湯とともに生きる、湯で街を生かす」新たな街づくりのプロセスを追う。
企画・取材・文:朝岡久美子 撮影:吉田素子
協力:長門湯本温泉まち株式会社/長門市経済観光部 観光政策課/(一社)長門市観光コンベンション協会
みずみずしいしぶきを上げ、涼おとずれやかな音を紡ぐ音信川の流れ。川床を吹き抜けるやさしい風の心地よさを感じながら耳を研ぎ澄ますと、古き良き日の温泉街の賑わいが聞こえてくる――。
600年余の由緒ある時の流れを映し出す山口県最古の温泉、長門湯本温泉。小規模ながらも人間味あふれる温泉街情緒が多くの人々に愛され、昭和の世には、高度成長期を駆け抜け日本経済の屋台骨を支えてきた団塊の世代の人々に夢と癒しを与えて続けてきた。ところが、時代の流れとともに街の賑わいは遠く過去のものとなり、艶やかな情景を描き出していた温泉街の時の流れはいつしか止まっていた。
しかし、この街を見守り続けた美しく清らかな音信川の流れは止まることはなかった。2016年から始まった「長門湯本温泉観光まちづくりプロジェクト」の着工からほぼ4年の時を経て、長門湯本温泉は新たな賑わいを取り戻した。街の中心を流れる川のみずみずしい生命力が、ふたたびこの小さな温泉街に新たな命を吹き込んだのだ。
水しぶきをものともせず川の真っただ中で遊びに興じる子どもたちの姿がここまで絵になる温泉街はないだろう。そんな他愛もない光景を何よりも心待ちにしているのは温泉街を見守り続けてきた街のおじいちゃん、おばあちゃんたちだという。子どもたちの無邪気な嬌声が川のせせらぎに響き合い、街行く人々を喜ばせる――このかけがえのない日常の情景こそが、この古き良き温泉街が長らく待ち望んだものだ。
住む人々が豊かな生活を享受できる街づくり――新たに誕生した長門湯本温泉では、川から聞こえてくる音一つや闇に映し出される影さえも、時に繊細にデザインされている。しかし、それは決して自然の音や光の存在を超えて意図的に生み出されたものではない。街づくりに情熱をかけた一人ひとりのエキスパートたちが、あふれる愛情を持ってあるがままの自然の情景や音を活かし、現代にマッチするよう、少しだけ想いを込めて斬新な息吹を吹き込んだのだ。クリエイターたちの限りない情熱と愛があふれるからこそ、生み出された一つひとつの技は、由緒ある湯を抱く街の空気感に違和感なく溶け込んでいる。川も自然も、そして、古くからのこの街を愛する人々も、街を変えようとする熱意あふれる人々の想いをあたたかく、寛容に受け止めた。
長門湯本温泉の開湯は1427年だ。かつて参勤交代の宿場町として栄え、近隣に位置する萩を拠点とした歴代の大名たちが愛した湯治場としても知られる。山口県最古の温泉は“神授の湯”としても名高い。長門湯本には、かつて「西の高野」と呼ばれ、室町時代の守護大名大内家によって庇護された曹洞宗の名刹が今なおその光彩を放ち続けている。長門湯本温泉の歴史はこの「大寧寺」と切っても切り離せない。温泉街には、こんな神話が残されている。
――その昔、大寧寺の境内の石の上で座禅を組む一人の老人がいた。老人はそこに現れた大寧寺三世定庵禅師が説いた法話にいたく感銘を受け、その日以来、寺に足繁く通い、仏道を納めた。ついに禅師から法衣と袈裟を贈られる日、老人は秀でた説法の数々への報恩と称して禅師に泉源(湯)を授けることを告げたという。実は、その老人の真の姿こそ、長門国一宮(下関)の住吉大明神だったのだ――。
何世紀もの歳月を経た今なお、長門湯本の人々は、その霊験あらたかな御由緒を誇りに、武家文化の中に栄えた古式ゆかしき温泉文化、いや、温泉信仰を大切に育み続けている。
「神と仏と湯」――この三位一体が長門湯本温泉の存在と歴史を唯一無二のものとしているのだ――。
上/長門湯本温泉街を望む。街を流れる音信川のみずみずしさと緑の情景が美しい。大きなパラソルが設えられた川床では、個人が思い思いに“素敵なひととき”を演出できる。右下/子どもたちが温泉街をかけめぐる姿が絵になる。こんな“生活景”が日々温泉街で繰り広げられている。
右/長門湯本温泉街の夜。どことなくかつての温泉街情緒を感じさせる残り香が漂う。レトロな情緒感を現代によみがえらせる公共照明の技もまたこの再生プロジェクトの白眉だ。左/“神授の湯”とされる長門湯本温泉を象徴する立ち寄り湯『恩湯』。泉源を真下に抱く数少ない希少な湯の一つだ。今回の街再生プロジェクトを経て、洗練されたデザイン性のあふれる“集いの場”へと生まれ変わった。
長門湯本温泉の成り立ちを語り継ぐ名刹「大寧寺」。
名宿が提案する“モダン湯治”の極意
大谷山荘 別邸音信
日本の名宿の代名詞と称されてきた『大谷山荘』。21世紀を迎え、新たなるくつろぎの空間『別邸音信』が誕生した。みずみずしい季節の情景と旬の息吹を感じさせる滋味深い食、そして、湯——。癒しとくつろぎという宿の常識を超え、感性に響き合う極上の喜びを与えてくれる“モダン湯治”の醍醐味を堪能する。
ホール空間を臨む。開湯600年を誇る長門湯本温泉の原点である“湯治宿”をコンセプトに掲げ、日本旅館の古き良き面影を残しつつも、モダニズムが融和した温泉リゾートを描き出す。空間を彩る大屋根は、からかさ京都・高台寺の茶室「笠亭」の屋根から着想を得ている。
右上/レセプションロビー空間と「音信文庫」を臨む。長期滞在でも館内でゆったりとくつろげるライブラリーも充実している。右下/萩焼の名匠 十三代三輪休雪氏をはじめ、希少価値の高い作品が展示されたギャラリー・ショップスペース。まるで美術館のようだ。左上/エントランスのパティオを思わせる水の空間は訪れる人々を非日常の空間へと誘う。左下/ゲストが来館した際には茶室「一峰庵」で茶と茶菓子が振る舞われる
古き良き日本宿の良さを現代に
『大谷山荘』――仮に長門湯本温泉の名を耳にしたことがない人でも、この名宿の名は耳にしたことがあるだろう。昭和の高度成長期から現在に至るまで長きにわたり、日本の老舗宿の最高峰として国内外の要人を迎え、迎賓館としての大役を果たしてきた“伝説的”な宿だ。しばし、その格式を語るに“6つ星”とさえ称されることもある。
その名宿が新たな時代を見据え、2006年に、よりプライベート感を重視した別邸を開業した。これこそが今からご紹介する『別邸音信』だ。車寄せからエントランスに至るまで広がる水盤と回廊の空間。ほのかな水波と光が織り成す静謐なひとときは、訪れる者を日常から非日常へと誘う結界であるかのようだ。
館内に足を踏み入れると、ホールと呼ばれる緑濃き空間が眼前に広がる。日本古来の木の文化と琉球畳のたおやかな風合いが湛える和の重厚感に浸りつつ、ふと天井空間を見上げるとバリ建築の大屋根を思わせるような宝形造りの造形的美しさに目を奪われる。そこはかとなく漂う和の品格とエキゾティックな華やかさのダイナミックな調和の妙が、いやがうえにも高揚感を誘う。中庭から吹き抜ける心地よい風がもたらす開放感は、至福の滞在の始まりを告げるプロローグであるかのようだ。
非日常性の本質を知る
来館時からすでに癒しと安らぎの洗礼を受け、いざ客室へ。広い館内にわずか18室というゆったりとした客室空間は、緑豊かな情景に包まれ、モダンなアースカラーを基調とした木のぬくもりが心地よい。客室によって広々としたソファー付テラスを兼ね備えたタイプやメゾネットタイプのものもあり、森の中にたたずむセカンドハウスに憩うかのようなくつろぎを感じさせる。
臨場感あふれる音で客室空間を包み込む“ウェルカム”ジャズのサウンドが、より研ぎ澄まされた五感に心地よく響く。客室は機能的で都会的な一面を持ち合わせながらも、落ち着きに満ちた色調ゆえだろうか、おのずと戸外の緑深き情景に自らが調和してゆくのを感じることだろう。このシンプルなひとときの上質感にこそ真の非日常性がある――。
『別邸音信』のゲストはその多くがリピーターだという。そして、まさに大人世代の50~70代を中心とした本物の上質を知る人々だ。さらに、その多くは予約時に部屋のナンバーを指定し、自らが最もくつろぎを覚える空間に再び戻ってくる日を心待ちにしているという。旅先にいながらもメゾネットやテラス空間で我が家のように思い思いの時を過ごす贅沢をかみしめる喜びは何度味わっても味わい尽くせないのだろう。いや、むしろ四季折々の空気感やその時の心のあり様によって感じる情景の美しさや高揚感との出合いに、一期一会のような醍醐味があるに違いない。
感性に響き合う安らぎを求めて
もう一つ、この宿を語るに忘れてはならないのが、何と言っても食の豊かさだ。日本料理「雲遊」で供される心づくしの逸品は、そのすべてが料理長渾身の思いに満ちていた。茶懐石を思わせる洗練と季節感あふれる清涼感は「時の便り」であるかのような粋を感じさせる。一つひとつの品に完璧なる世界観が繊細に描き出され、料理人たちの思いが力強く滲みあふれていた。
癒しとくつろぎという宿の常識を超え、感性に響き合う安らぎと高揚感を与えてくれる『別邸音信』での極上のひととき。“6つ星”の風流なる山房を定宿とする喜びをぜひ味わって欲しい。
Information
大谷山荘 別邸音信
山口県長門市深川湯本2208
Tel. 0837-25-3377
https://www.otozure.jp
——街を活かし、街に生かされる宿づくり――
界 長門
音信川から見た『界 長門』。川沿いに面した「あけぼの門」は温泉街にひときわ存在感を放つ。
日本の温泉旅館のチェーン化を目指し、宿泊特化型の宿運営のプロとして
日本全国に展開する星野リゾートの『界』ブランド。
『界 長門』は長門湯本温泉進出の機会を得て、宿泊運営の枠組みを超え、
温泉街エリア全体との共生の道を模索し続けている。
ユニークなロールモデルとしてブランドのトップランナーを
ひた走る『界 長門』の魅力をお伝えしよう。
音信川沿いのシンボル的存在へ
長門湯本温泉は“神授の湯”の伝説に導かれた山口県最古の温泉地であるのみならず、江戸時代には長州藩の歴代藩主たちが湯治に訪れた由緒ある歴史を誇る。そんな武家文化の香り豊かな長門湯本温泉の昔年の面影を現代に美しくよみがえらせたのが。『界 長門』だ。古く、将軍や大名たちが旅先で宿とした御茶屋屋敷から着想を得たという堂々たるたたずまいは、開業から数年を経て積年の風合いを得たごとくに存在感を放っている。
温泉街との共存の意義
『界 長門』は今年で開業二年目を迎えた。前枠でもご紹介したように星野リゾートは同社の温泉旅館ブランド『界』の進出を通して長門湯本温泉の再生プロジェクトに変革的ともいえる流れを生み出し、ある種のキープレーヤー的な役割を果たした。だからこそ、『界 長門』という宿には、街づくり着工当初より当事者たちからの大きな期待が寄せられた。
「この二年間、スタッフの情熱と温泉街という大きなフィールドをどのようにつなげてゆくかが我々にとっての大きな課題でした。宿の運営に関わる人材一人ひとりが街全体のために何ができるかということを具体的に示していかなくてはいけない。それを皆で日々実践してゆくことが楽しくもあり、戦いでもありました」と総支配人の三保裕司氏は語る。
温泉旅館ブランドとして日本全国に展開する数ある『界』の中でも、初めて運営特化型の枠組みを超えて街全体と協働することによってスタッフ一人ひとりのヴィジョンも多面的に広がり、開業当初から個々のモチベーションも圧倒的に高かったという。今も、数々のイニシアティブや新たな試みがスタッフ同士の休憩中の雑談から生まれたりと、若きスタッフたちの思いは24時間365日、温泉街の発展のために注がれていると言っても過言ではない。
地場産業や伝統工芸の逸品をさりげなく活かした客室や館内の粋なしつらえ、そして、供される料理一品一品やアイディアに投影された地元愛と時空間を超えた創造性は、これからもさらに斬新な発想とともに進化し続け、訪れる人々をあっと言わせてくれることだろう。
右/大名藩主の“謁見の間”を現代にイメージしたロビー空間。違い棚に飾られた萩焼作品が重厚感を醸しだす。左/現存する職人はわずか3名という山口県の伝統工芸「赤間硯」。希少価値の高い逸品だ。その価値を書の体験を通して実際に学び体感できる『界』ならではの“ご当地楽”専用の体験空間。
右/テラス空間に広々とした露天風呂を兼ね備えた特別室。 左/ヘッドボードには山口市の無形文化財に指定されている「徳地和紙」が用いられている。
上/宝楽盛り: フグの薄造りはミカンポン酢でさっぱりと。右下/先付:“烏賊の二色和え 生雲丹添え”。鮮度が高い烏賊はそのまま食しても美味だ。左下/秋冬の特別会席のメイン:“フグと牛の源平鍋”。ミカン鍋という周防大島の郷土鍋から着想を得た贅沢な鍋。出汁もミカンと昆布から取る。
下関の新プロジェクトを視野
星野リゾートは、『界 長門』と長門湯本温泉街の街づくりの取り組みで得た経験値とノウハウを活かし、新たに下関市の臨海地域を含む広域エリアの魅力と価値を高める推進プロジェクトに取り組んでゆくことを発表している。2025年の秋には下関のベイフロントエリアに『リゾナーレ下関(仮称)』も開業予定だ。九州地域をも眼前に抱く下関という大エリアにラウンドを移し、公民が協働してのプロジェクト第二弾が始まる。
「山口・九州を一体化しての周遊の可能性も提案したい」という大きなヴィジョンを掲げてのさらなる挑戦に挑む彼らに心からのエールを送りつつ、この長門湯本温泉もまた広域にわたる観光的波及効果を得てさらに大きく発展してゆくことを心から願うばかりだ。
宿泊者以外の人々も利用できる「あけぼのカフェ」で供されているオリジナルのどら焼き。
Information
界 長門
予約・お問い合わせ:Tel. 0570-073-01(9:30~18:00)
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